「お義姉さん、お母さんを介護施設に入所させることにしました」
電話の向こうで義姉の様子が変わるのが伝わった。
「は?施設?母を捨てるの?」
「3年間私が介護してきたんです。医師にも「共倒れの危険がある」と言われました」
「だからといって施設なんて!冷血じゃないの!」
「じゃあお義姉さんが介護してください。私はもう限界です」
電話のあとに静寂が続く。
「私には無理…子供がいるから…」
「では施設しかありません」
義姉はそのまま何も言えず、電話が切れた。
施設への入所手続きを進めると、義母はかなり混乱した。でも施設のスタッフが丁寧に対応してくれて、数週間で落ち着いた。
施設に入所した後、義姉の動きが変わった。
親戚に「嫁が母を捨てた」「あの人は冷血だ」と言い回し始めた。
ある日、親戚から電話が来た。
「あなたがお母さんを施設に入れたの?」「もうちょっと家で頑張れなかったの?」と言われる電話が続く。
私は「少し待ってください」とだけ言い、翌日、親戚全員に手紙を送った。
その手紙には、3年分の介護日記のコピーが同封されていた。
日付ごとの介護内容、かかった費用、義姉がいつ来たか来なかったかの記録。医師の「共倒れの危険がある」という診断書も添付した。
親戚たちの反応は一気に変わった。
「あなたが本当にこんなに介護してたの?」「義姉さんは月1回しか来てなかったの?」
あっという間に親戚は私の味方になった。
義姉には「あなたが言い回してたことは全部嘘だったのね」と痛烈な言葉が返った。
義姉は「それは…私にも理由があって…」と言い訳するが、誰にも受け入れられなかった。
義姉は完全に孤立した。
義母は施設で穏やかに暮らすようになった。私は月に2回面会に行く。義姉は最初だけ面会に行き、その後一度も来なかった。
それから2年後。義母は亡くなった。
葬儀が終わり、少し経ったある日。義姉から連絡が来た。
「遺産の話しよう。平等に分けるよね」
「平等に?」
「だって家族なんだから当然じゃない」
私は冷静に答えた。
「わかりました。でも私には弁護士がいますので、そちらを通じて」
義姉はその言葉の重さに気づかなかった。
弁護士に相談すると「寄与分」について説明してくれた。
「被相続人の介護や財産維持に特別に貢献した人は、遺産を多く受け取ることができます。3年間の介護日記がある場合、明確に寄与分が認められます」
遺産の内訳は、義実家の家と土地で約2500万円。義姉との折半なら1250万円ずつ。
でも寄与分を認めると、私が約1750万円、義姉が約750万円になる。
弁護士から義姉に正式な書面が送られた。
義姉から電話がかかってきた。
「ちょっと待って。なんでこんなに私の分が少ないの?」
「寄与分です。3年間介護した証拠があるので」
「そんな法律、知らなかった!」
「介護日記を3年間書いていたのは、こうなることを予想していたからではありません。ただ、事実を記録していただけです」
「あなたが冷血だから…」
「冷血なのは誰ですか?3年間介護を逃げ続けて、施設に入れたことを嘘で吹聴して。今度は遺産だけもらおうとしている」
義姉は何も言えなかった。
調停を経て、最終的に私の主張が全て認められた。
遺産の分配は、私が約1750万円。義姉が約750万円。
義姉は「血も涙もない」「縁を切る」と言い出したが、私は言った。
「縁を切るのは、3年間介護を逃げた時に義姉さんの方が先でしたよね」
義姉はそのまま帰った。
それから義姉とは一度も連絡が取れていない。
今、私は夫と子供と穏やかな日々を過ごしている。義母が大切にしていた庭の花の種を施設に持っていき、「新しい場所で咲かせましょう」と言った。
義母はそのまま微笑んだ。
介護は辛かった。でも、あの3年間が私の人生を救った。
義姉には良い勉強になったはずだ。
仕事をしながら介護した証拠は、最後に自分を守る武器になった。



コメント