「今週末、会社の懇親会があるから、一緒に来い」
私は少し迷った。すっぴんで行くのは恥ずかしい。
でも、化粧品はない。
「化粧品、捨てちゃったから…」
「すっぴんで来い。お前は俺の妻として、飾る必要ないんだから」
夫はそう言い切った。
懇親会の日。
私はすっぴんで、夫の会社のホテルの宴会場に向かった。
会場に入ると、夫の同僚や上司たちが集まっていた。
女性社員は全員、きちんと化粧をしていた。
私だけがすっぴんだった。
夫の女性同僚の一人が、私に声をかけてきた。
「はじめまして。川村さんの奥様ですよね。私、同じ部署の田中です」
「はじめまして」
田中さんは少し驚いた顔で私を見た。
「あの…奥様、すっぴんですか?」
「はい…」
「え、なんで?体調悪いんですか?」
私は少し迷ったけど、正直に答えた。
「夫が化粧を禁止してるので」
田中さんの表情が凍りついた。
「え…化粧を、禁止?」
周りにいた女性社員たちも、こちらを見ている。
「はい。化粧品も全部捨てられました」
「それ…DVじゃないですか?」
田中さんの声が大きくなり、周囲の視線が集まった。
夫が慌てて近づいてきた。
「ちょっと、何話してるんだ」
「川村さん、奥様に化粧禁止してるって本当ですか?」
田中さんが夫に詰め寄った。
「それは…妻には化粧なんて必要ないと思って」
「は?私たちには化粧を求めるくせに、奥様には禁止?意味わかんないです」
別の女性社員も加わった。
「それって、完全に支配じゃないですか。奥様、大丈夫ですか?」
私は何も言えなかった。
その時、夫の上司の妻が近づいてきた。
「あら、奥様。すっぴんなのね」
「はい…」
「旦那さんに止められてるんですって」と田中さんが説明した。
上司の妻は眉をひそめた。
「川村さん、それはちょっとおかしいわよ。女性の化粧は自由でしょう」
夫は「いや、あの…」と言葉に詰まっている。
上司の妻は私に優しく言った。
「奥様、もしよかったら私の化粧ポーチ使っていいわよ。せっかくの懇親会だもの」
「いえ、大丈夫です」
「遠慮しないで。ほら、トイレで一緒に直しましょう」
上司の妻は私の手を引いて、トイレに向かった。
トイレで、上司の妻は私に化粧品を貸してくれた。
「ごめんなさい、夫が怒ると思うので…」
「大丈夫よ。女性が化粧するのは当然の権利。旦那さんが何を言おうと関係ないわ」
私は久しぶりに化粧をした。
鏡を見ると、少し顔色が良く見えた。
会場に戻ると、女性社員たちが「奥様、素敵!」と声をかけてくれた。
夫は不機嫌そうな顔をしていたが、上司の妻の前では何も言えなかった。
懇親会が終わり、家に帰る車の中で、夫が怒鳴った。
「なんで化粧したんだ!俺が禁止したのに!」
「上司の奥様が貸してくれたので」
「俺の顔を潰す気か!」
私は何も言い返せなかった。
でも、翌日から夫の様子がおかしくなった。
会社から帰ってくると、不機嫌な顔をしている。
「どうしたの?」
「お前のせいで、会社で噂になってる」
「え?」
「『川村は妻に化粧を禁止してる支配的な男』って。女性社員たちが広めたんだ」
私は何も言えなかった。
「上司からも呼ばれて、『家庭のことは家庭で解決しろ。会社の評判に関わる』って叱られた」
夫は頭を抱えた。
「お前のせいだ。余計なこと言うから」
「私は聞かれたから答えただけ」
「黙ってればよかったんだよ!」
夫は怒鳴ったが、私はもう何も感じなかった。
翌週、私は弁護士に相談した。
「夫が化粧を禁止して、化粧品を全部捨てました」
弁護士は眉をひそめた。
「それは精神的DVに該当する可能性があります。配偶者の行動を過度に制限する行為です」
「離婚できますか?」
「できます。証拠はありますか?」
「ゴミ袋に捨てられた化粧品の写真と、会社の懇親会で私がすっぴんだったことを証言してくれる人がいます」
「十分です」
私は離婚を決意した。
調停の日、夫の会社の女性社員と上司の妻が証人として出廷してくれた。
「川村氏は妻に化粧を禁止し、化粧品を全て捨てました。これは配偶者の自由を侵害する行為です」
調停委員も「これは問題ですね」と頷いた。
結局、離婚は成立。慰謝料100万円と財産分与で貯金の6割を獲得。
離婚が成立した日、上司の妻から電話があった。
「奥様、お疲れ様でした。実は主人が川村さんに伝えたそうなんですけど、彼は今回の件で昇進が見送られたそうです」
「そうなんですか」
「家庭内の問題が会社の評判に影響したって。当然ですけどね」
私は少しだけ、スッキリした気持ちになった。
それから半年。
私は化粧品を揃えて、毎日メイクを楽しんでいる。
新しい仕事も見つけて、充実した日々を送っている。
元夫は会社で孤立し、女性社員からも避けられているらしい。
自業自得だ。
女性の自由を奪う人間には、必ず報いが来る。
因果応報。
私は今、鏡を見て自分の顔に色を添える時間が、何より幸せだ。


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