すると夫は鼻で笑った。
「病院なんて大げさに言うもんだよ。患者を不安にさせて金稼ぎたいだけだろ」
「子宮内膜症?聞いたこともない病気だな。本当にあるの?」
私は言葉を失った。
「医者が診断したんだよ…信じてよ」
「お前が大げさに症状言ったから、医者も適当に病名つけたんだろ」
夫は私の診断を信じようとしなかった。
それから数ヶ月、私は治療を続けた。でも夫のサポートはゼロ。
「薬飲んでるなら大丈夫だろ」「まだ痛いとか言ってるの?」
私の痛みは軽減されず、むしろ悪化していった。
そしてある日、事件が起きた。
仕事中、突然激痛が襲ってきた。今までで一番酷い痛み。冷や汗が止まらず、立っていられない。
同僚が救急車を呼んでくれて、私は病院に運ばれた。
医師の診断は「卵巣嚢腫の破裂」。子宮内膜症が進行して、卵巣に嚢腫ができていたらしい。それが破裂した。
「すぐに緊急手術が必要です」
医師が夫に説明していた。夫は会社から駆けつけてきていた。
「奥さんはかなり重症です。子宮内膜症を放置していたことで、ここまで悪化しました。もし今日処置が遅れていたら、命に関わる状態でした」
夫の顔が青ざめた。
「え…そんなに…」
「奥さん、かなり痛みに耐えていたと思います。よく我慢されましたね」
医師の言葉に、夫は何も言えなかった。
手術は無事成功した。でも卵巣の一部を切除することになり、将来妊娠しにくくなる可能性があると言われた。
病室で目が覚めた時、夫がいた。
「よかった…無事で…」
夫の目には涙が浮かんでいた。
「ごめん…俺が信じなかったから…」
でも私の心は、もう動かなかった。
手術後、1週間入院した。夫は毎日見舞いに来た。でも私は夫と話す気力もなかった。
退院の日、家に帰る車の中で、私は夫に言った。
「離婚したい」
「え…」
「私が一番辛い時、あなたは私を甘え扱いした。信じてくれなかった。医者の診断すら信じなかった」
「それは…悪かった。これからはちゃんと理解するから」
「遅い」
私は冷たく言い放った。
「私が救急搬送された時、あなたは何をしてた?仕事。私が痛みで倒れても、あなたは『演技じゃないの』って言った」
「あれは…本当にごめん」
「手術痕が、あなたの言葉の傷を思い出させるの。もう一緒にいられない」
夫は何度も謝罪した。でも私の決意は変わらなかった。
離婚調停は比較的スムーズに進んだ。私は夫の「医療ネグレクト」とも言える行為を証拠として提出した。LINEのやり取り、夫の暴言の録音。
調停委員も「これは酷い」と言っていた。
離婚成立。私は夫のいない新しい人生を始めた。
体調は徐々に回復し、仕事にも復帰できた。職場の理解もあって、無理せず働けるようになった。
それから3年が経った。
共通の友人から、元夫の近況を聞いた。
「あいつ、新しい彼女できたらしいよ。でもまた同じことやって振られたって」
「同じこと?」
「その彼女も生理痛重い人だったらしくて、また『甘え』とか言ったらしい。彼女がブチ切れて別れたって」
私は何も感じなかった。
「結局、学んでないんだね」
「お前と別れてから、周りから『最低だ』って言われて反省してたと思ったんだけどな」
人は簡単には変わらない。
私は今、理解のある優しい男性と交際している。彼は私の病気のことも知っていて、生理の時は「無理しないで」と労ってくれる。
こんなに違うものかと、涙が出た。
元夫との生活が、どれだけ異常だったか。今ならわかる。
生理痛を「甘え」扱いする人間とは、一緒にいてはいけない。
私の痛みは、リアルだった。病気だった。命に関わるものだった。
それを信じてくれない人間に、私の人生を捧げる必要はなかった。
手術痕を見るたび、私は思い出す。
あの時、離婚を決意してよかったと。
私は自分の人生を、取り戻したんだと。
因果応報。
元夫は同じ過ちを繰り返し、誰からも愛されない人生を歩んでいる。
それが、妻を信じなかった男の末路だ。



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