保健所まで車で40分。信号が全部赤に見えた。
「待ってて、コロ。すぐに迎えに行くから」
保健所に着いて、受付で事情を説明した。
職員さんが奥からコロを連れてきてくれた。
「コロ!」
コロは私を見た瞬間、大きく尻尾を振って飛びついてきた。
「ごめんね、ごめんね…怖かったよね…」
私はコロを抱きしめて泣いた。
職員さんが優しく言った。
「無事に引き取れて良かったです。でも…旦那様が持ち込まれたんですよね?」
「はい…勝手に…」
「それは…ご家族でよく話し合われた方がいいと思います」
コロを連れて家に帰った。
夫はソファでテレビを見ていた。
「あ、連れて帰ってきたのか。またあの臭い犬と暮らすの?」
私は冷静に言った。
「離婚します」
夫がテレビから目を離した。
「は?」
「離婚します。もう無理」
「犬ごときで?」
「犬ごとき?」
私の声が震えた。
「あなたは私の大切なものを勝手に捨てた。それも命あるものを。信頼関係はもうゼロです」
「ちょっと待てよ。大げさすぎるだろ」
「大げさじゃない。あなたは私に何の相談もなく、コロを保健所に連れて行った。明日になったら殺されてたかもしれないのに」
夫は黙った。
「それに、これって犯罪かもしれないから。弁護士に相談するね」
「犯罪?何言ってんだよ」
「ペットは法律上、財産なの。人の財産を勝手に処分したら、器物損壊罪や窃盗罪になる可能性があるんだよ」
夫の顔が青くなった。
「ちょっと待て。そんな大事にするなよ」
「もう遅い」
私は翌日、会社を休んで弁護士事務所に行った。
弁護士はペットの写真とコロの飼育記録、保健所の受取証明書を見て、言った。
「これは悪質ですね。器物損壊罪に該当する可能性があります。被害届を出すこともできますよ」
「被害届…出せるんですか」
「ええ。それに離婚理由としても十分です。配偶者が無断で大切なペットを処分したことは、婚姻関係を継続し難い重大な事由に該当します」
私は弁護士に離婚調停の手続きをお願いした。
家に帰ると、夫が珍しく神妙な顔で待っていた。
「なあ、犬のことは悪かった。謝るから、離婚とか勘弁してくれよ」
「無理」
「お前、本気なのか?」
「本気だよ。あなたがコロを保健所に連れて行った瞬間、私の中であなたへの愛情は消えた」
「でも俺、犬が嫌いだっただけで…」
「嫌いでも、それは私の財産であり、家族なの。勝手に処分していい理由にはならない」
夫は何も言えなくなった。
私は続けた。
「それに、弁護士に相談したら、被害届を出すこともできるって言われた。器物損壊罪になるかもしれないって」
夫は顔面蒼白になった。
「ちょっと待てって!被害届って、俺が犯罪者になるってこと?」
「そうだよ。でも、離婚にちゃんと応じてくれるなら、被害届は出さないでおく」
夫は黙り込んだ。
数日後、夫が折れた。
「わかった。離婚でいい」
離婚調停は驚くほどスムーズに進んだ。
夫の行為があまりにも悪質だったため、調停委員も私の味方だった。
慰謝料として100万円、財産分与も有利な条件で離婚が成立した。
離婚後、私はコロと一緒にペット可のマンションに引っ越した。
小さいけど、日当たりのいい部屋。
コロは毎日、尻尾を振って幸せそうにしている。
「コロ、これからはずっと一緒だからね」
コロは私の手を舐めて、まるで「ありがとう」って言ってるみたいだった。
半年後、共通の友人から聞いた。
元夫は職場で「ペットを保健所に持ち込んで離婚された男」として有名になったらしい。
女性社員からは完全に嫌われ、「動物虐待する人」というレッテルを貼られたという。
「自業自得だな」と友人は言った。
本当にその通りだと思う。
命を軽視する人は、いつか自分に返ってくる。
今、私はコロと穏やかに暮らしている。
最近、ドッグランで知り合った男性がいる。
彼も犬を飼っていて、「犬を大切にする人は信用できる」って言ってくれた。
コロもその人に懐いている。
もしかしたら、これから新しい家族が増えるかもしれない。
でも焦らない。
コロと私、二人だけでも十分幸せだから。
元夫は、自分の身勝手さで大切なものを全て失ったのだ。
因果応報。
コロを捨てた男は、人からも捨てられる。
当然の結果だと思った。


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