私が作った料理を出すと、友人は「美味しい!レシピ教えて!」と言ってくれた。
でも夫は「お世辞だろ。こんな不味いもん」と笑った。
友人は引いていた。
その日を境に、その友人からの連絡は途絶えた。
そして先週、私の中で何かが切れた。
また夫が私の作った唐揚げをゴミ箱に捨てた時。
「もう作らない」
「は?」
「自分で作ってください」
夫は鼻で笑った。
「余裕だろ。料理なんて簡単だ。お前ができるくらいなんだから」
「じゃあどうぞ」
その日から、私は一切料理を作らなくなった。
夫は最初、余裕そうだった。
「見てろよ。俺が本当に美味い料理を作ってやる」
初日。
夫が作ったのは、焦げた目玉焼きと真っ黒な焼きそば。
「ちょっと失敗しただけだ」
夫はコンビニ弁当を買ってきた。
2日目。
夫はカップラーメンを食べていた。
「明日は本気出す」
3日目。
夫が作ったカレーは、ルーが溶けきっておらず、玉ねぎは生で、肉は焦げていた。
夫は一口食べて、顔を歪めた。
「…まあ、食えなくはない」
無理して食べていた。
1週間後。
夫はコンビニ弁当とカップラーメンばかり食べて、顔色が悪くなっていた。
「なあ…そろそろ料理作ってくれないか?」
私は冷たく答えた。
「不味いんでしょ?」
「いや…その…俺が言いすぎた」
「言いすぎたじゃなくて、本心でしょ?私の料理、ゴミ箱に捨ててましたよね」
夫は何も言えなくなった。
2週間後。
夫は明らかに体調を崩していた。栄養バランスが悪いせいで、肌荒れもひどい。
「頼む…お前の料理が食べたい…」
「本当ですか?不味いのに?」
「不味くない…美味しかった…ごめん…」
夫の謝罪も、もう遅かった。
「もう作りません」
「なんで!?謝ってるだろ!?」
「2年間、私は毎日料理を作ってきました。それを『不味い』と言われ、ゴミ箱に捨てられました。私の自信も、自尊心も、全部あなたに壊されました」
夫は青ざめた。
「そんなつもりじゃ…」
「つもりじゃなくても、やったことは消えません」
私は続けた。
「離婚しましょう」
「え!?」
夫は慌てた。
「待ってくれ!俺が悪かった!本当にごめん!もう二度と文句言わないから!」
夫は土下座した。
でも私の心は、もう動かなかった。
「土下座されても、もう信用できません」
翌日、私は実家に帰った。
両親に全てを話すと、父が激怒した。
「そんな奴と離婚しろ!お前の料理は美味しいぞ!」
母も「あなたは何も悪くない」と抱きしめてくれた。
実家で久しぶりに料理を作った。
両親は「美味しい」「やっぱりお前の料理が一番」と喜んでくれた。
私は泣いた。
こんなに「美味しい」って言ってもらえることが、嬉しかったんだ。
離婚調停が始まった。
夫は「やり直したい」と懇願したけど、私は拒否した。
「私の料理をゴミ箱に捨てた人とは、もう一緒に暮らせません」
調停委員も私の話を聞いて、「それは精神的DVですね」と言ってくれた。
離婚が成立した。
私は自由になった。
そして、私は料理教室に通い始めた。
もっと美味しい料理を作りたいと思ったから。自分のために。
料理教室の先生は「あなた、才能あるわよ」と褒めてくれた。
半年後、私はプロ級の腕前になった。
友人たちを家に呼んで、手料理を振る舞った。みんな「美味しい!」「お店開けるよ!」と絶賛してくれた。
私は料理ブログを始めた。
レシピや写真を載せると、どんどんフォロワーが増えた。
「この料理作りました!美味しかったです!」「レシピありがとうございます!」
コメントがたくさん来た。
ブログはどんどん人気になって、企業から「レシピ本出しませんか?」とオファーが来た。
私は本当に料理本を出版することになった。
そして、ある日。
元夫から久しぶりにLINEが来た。
「お前の料理本、本屋で見たよ。すごいな…」
私は既読スルーしようとしたけど、一言だけ返信した。
「不味い料理でも、本になるんですね」
元夫からの返信はなかった。
今、私は料理研究家として活動している。
テレビの料理番組にも呼ばれるようになった。
そこで、私はこう言った。
「料理は愛情です。作る人を否定する人のために、作る必要はありません」
視聴者から「感動しました」「勇気もらいました」とメッセージがたくさん来た。
ある日、知人から聞いた。
元夫は今でも一人暮らしで、料理ができず、コンビニ弁当ばかり食べて太ったらしい。
再婚しようとしても、「料理できないなら無理」と断られ続けているらしい。
因果応報。
人の努力を馬鹿にする人は、いつか自分に返ってくる。
私は今、料理が大好きだ。
そして、私の料理を「美味しい」と言ってくれる人たちに囲まれている。
元夫が捨てた私の料理は、今では何万人もの人に愛されている。
それが、私の最高の復讐だった。



コメント