「結婚してやったんだから感謝してよ」
休日の昼下がり、私がソファで本を読んでいると、夫がリビングに入ってきた。
「なあ、今週末の同窓会、行ってもいい?」
「え、今週末?子供の参観日なんだけど」
「参観日くらい一人で行けるだろ。俺、5年ぶりの同窓会なんだよ」
「でも、あなたが来るの楽しみにしてるよ。先週からずっと話してたじゃん」
夫は面倒くさそうに舌打ちをした。
「結婚してやったんだから感謝してよ。たまには俺の予定も優先させてくれよ」
その言葉を聞いた瞬間、何かが冷たく凍りついた。
でも私は、いつも通りの笑顔を作った。
「…そうだね。感謝しなきゃね」
「わかればいいんだよ」
夫は満足そうにソファに座り、スマホをいじり始めた。
そして一週間後、夫の誕生日に私なりの感謝を伝えると夫は青ざめた…。
【続き】
その夜、私は静かに区役所のホームページを開いた。
離婚届をダウンロードし、プリントアウトする。
カレンダーを見る。1週間後は夫の誕生日だった。
完璧なタイミングだ。
翌日から、私はいつもより優しく夫に接した。
好物の料理を作り、部屋を綺麗に片付け、笑顔で「お帰りなさい」と言った。
夫は上機嫌だった。
「やっぱりお前が素直だと家の雰囲気がいいな」
「ありがとう」私は微笑んだ。
内心では、離婚届に自分の名前を丁寧に記入していた時のことを思い出していた。
誕生日当日。
いつもより少し豪華な夕食を用意し、ケーキも買ってきた。
「おお、今年は気合入ってるな!」
夫は嬉しそうに食事を楽しんだ。
食後、私はリボンのかかった封筒を差し出した。
「プレゼント、開けてみて」
「お、何これ?」
夫が封筒を開ける。
中から出てきたのは、離婚届。
私の欄には、すでに全て記入され、印鑑も押されていた。
「…は?」
夫の顔から血の気が引いた。
「結婚してくれて、本当に感謝してる」
私は穏やかに言った。
「でももう十分だから、自由になってね。これ以上あなたに感謝される必要もないし、私も解放されたいの」
「ちょ、ちょっと待て!冗談だろ?」
「冗談じゃないよ。だって、結婚してあげたことに感謝してほしいんでしょ?」
私は夫の言葉をそのまま返した。
「なら私も、あなたを解放してあげる。お互いwin-winだよね」
「い、いや、あれは言い方が悪かっただけで…」
「言い方の問題じゃないと思うんだ」
私は静かに続けた。
「結婚って、どっちかが『してあげた』ものじゃないよね?二人で決めて、二人で築いていくものでしょ?」
夫は震える手で離婚届を握りしめていた。
「ごめん…本当にごめん。あんな言い方、最低だった」
「子供の参観日より同窓会が大事で、私への感謝を要求して、対等な関係だと思ってないなら、一緒にいる意味ないよね」
「違う!そんなつもりじゃなかったんだ!」
夫の目に涙が浮かんでいた。
「参観日、俺が行く。同窓会は断る。本当にごめん…」
「今さら…」
「頼む!もう一度チャンスをくれ。お前と子供がいない人生なんて考えられない」
夫は土下座までした。
私はしばらく黙って夫を見つめた。
「…一度だけよ。同じこと言ったら、次は本当にサインしてもらうから」
「わかった!二度と言わない!」
夫は何度も頭を下げた。
翌週の参観日。
夫は誰よりも早く学校に来て、最前列で子供の発表を見守った。
帰り道、夫がぽつりと言った。
「あの離婚届、まだ持ってる?」
「引き出しの奥にね」
「…捨ててくれない?」
「ううん、記念に取っておく」
私は微笑んだ。
「あなたが感謝すべき相手を忘れないように」
夫は苦笑いしながら、私の手をそっと握った。
あの日から、「結婚してやった」という言葉は二度と聞いていない。


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